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海人族と志賀海神社①

弥生文化前期の日本の発展に寄与した海人族。そのルーツは諸説ありますが、インド・チャイニーズ系といわれる海人族は、中国南部の閩越地方の漂海民に起源を持ち、東シナ海を北上、山東半島、遼東半島、朝鮮半島西海岸を経由して、玄界灘に達したと推定されます。

 

そのうちの一つである安(阿)曇族は、優れた航海術と稲作技術を持ち、古代の海人族の中でも最も有力な氏族でした。連(むらじ)という高い身分を大和朝廷から受け、中国や朝鮮にもたびたび渡っていたとも言われており、663年の白村江(はくすきのえ)の戦いでは、安曇比羅夫(あずみのひらふ)が大軍を率いて朝鮮に渡り、陣頭指揮にあたっています。また、788年には宮中の食事を司る長官奉膳の地位についていることからも、安曇氏は大和朝廷を支えた有力氏族であったことがうかがえます。

 

日本中に移住した安曇族の証は、数々の地名に織り込まれています。渥美半島、熱海、安曇野、安曇川などなど。稲作文化を日本中に広めたこの安曇族の働きなくしては、今の日本の存在はなかったかもしれません。

さて志賀海神社の宮司職にも代々『阿曇』姓がついています。即ちこの安曇族の系譜が続いているということです。祖先は神功皇后が三韓出兵の途中に志賀島に立ち寄ったあと、水先案内などをした阿曇磯良(いそら)。紛れもない海の神様であります。古くは綿津見三神ではなく、この磯良が祭神であったように、志賀海神社(安曇族)は先祖を神として今も変わらず崇め奉っているのです。②につづく